「足ることを知る」

多治見市 福壽寺 副住職 伊藤隆祥 師

むかし、欲の深い男が日の出から日没までの間に自分で歩いただけの土地を貰えるというので、夢中で一日中走りまわり、遂に疲労のため命尽きてしまった。その男の亡きがらはわずか一坪にもみたない土地に埋められた

「人はどのくらいの土地を必要とするか」という物語りであります。

よく考えてみると、私達もこの男のように毎日毎日果てしない「もの」への欲望のために走りまわってはいないでしょうか。

確かに、私達が社会生活を営んでゆくためには、「もの」は必要な存在であります。しかし、「もの」には限りがあって、いくら私達が求めようと努力しても、完全に求めつくす事はできません。そこから私達の心の中にむさぼり、怒り、愚痴といった悩みが生じます。人間の幸福とは何か?という問いにお釈迦様は次のように答えておられます。

「足ることを知らざるものは、天堂に処すといえども、なお貧しし。」と。

実体のない仮の姿である「もの」に執着して、夢中で追い続けても幸福はやってきません。心の中に足ることを知ってこそ、初めて幸せはやってくるのです。