「行雲流水」

各務原市 慈眼寺 住職 宮崎證俊 師

禅の言葉に「行雲流水」というものがございます。

大空を自由に流れる雲の様に、高いところから低いところへ流れる水の様に…一つのところにとどまること無く、執着せず常に変化し続ける自由な様を表す言葉です。

禅の修行僧のことを「雲水」と申しますが、それはこの「行雲流水」からきています。

私達は日々の生活の中で、こうあるべきだ、こうでなくてはならない等、物事を決め付けてしまったりすることがあります。

私自身の事で申せば、つい最近まで本は紙媒体であるべきだと考えていました。手に持った時の重さ、指でページをめくる。紙やインクの匂い…これが無ければ読んだ気にならない!と。

しかしながら、本棚には限界がありますので渋々と電子書籍を購入することにしました。

いざ読み始めると、当然といえばそうなのですが紙媒体と同じように楽しめるわけです。

ページをめくるという行為が画面をタップするに変わっただけなのです。

それ以降、圧倒的に電子書籍で購入することが多くなりました。何時でもどこでもスマホやタブレットがあれば読める利便性を重視する考えに変わったわけです。

水は温めれば気体となって雲となりやがて雨となる。製氷機で凍らせれば四角い氷となり、丸いコップにいれれば溶けて丸い水となる。

本質は同じ水なのですが、様々な姿があるわけです。執着の無い自然体のあるがままの素直な心持ちでいれば、どんな媒体でも楽しめるのです。

すこし肩の力を抜いて「行雲流水」な心持ち試してみてはいかがでしょうか。