「自分が自分にする供養」

郡上市 林廣院 住職 梅澤元禅 師

昔、お年寄りに、徳をつみなさいよと言われた覚えがあります。何をしたら、どうしたら、徳を積むことが出来るのか分かりません。例えば、人に親切に声掛けても、お年寄りに手を差し伸べても、現代では、小さな親切大きなお世話になりかねません。では、どの様にしたら徳が積めるのかと悩んでしまいます。

近所で知り合いが亡くなったと聞けば、早々にお悔やみに行かなくてはならないが、暑い夏もあれば、寒い冬もあります。更にあの方には大変お世話になったから、行かねばならない場合もあれば、それ程でもないが、仕方ないから行ってくるかという場合もあると思います。

どちらにしても、その場所に足を運ぶ、その行為が亡き人への供養であります。さらに、「自分が自分にする供養」ではないかと思います。しかし、伺う時期はまちまちで暑いから、寒いから、忙しいからと、いろいろ理由を付けながらも、お悔やみに足を運び亡き人の供養を終え、ふっと思い返してみると、その行為が「自分が自分にした供養」。つまり、これがお徳積みではないかと思うのです。

心ある供養には、形式などありません。素直な気持ちで、さらには、先祖の墓参り、月に数回の墓掃除、これもただ花や水を捧げるだけでなく、墓は先祖の身体です。水をかけ、タオルで墓石の汚れを落とし、水で洗い流し、新しいタオルで拭き上げてこそ、何となく爽やかな気持ちになれます。これがお徳積みになるのではないでしょうか?