「梵鐘をお迎えして」

恵那市 天長寺 住職  森 知孝 師

恵那市天長寺住職、森と申します。

先般、當山では予てよりの念願でございました山門に梵鐘をお迎えすることができました。

本来あるべき場所に、文字通りの「鐘楼門」としての姿となりました。御志納いただいた方、ご協力をいただいた皆様に、心から感謝を申し上げます。

第二次世界大戦の「金属類回収令」によって、「梵鐘」を供出して以来、約七十有余年ぶりに里山に響き渡る「鐘の音」に檀信徒も喜んでくれております。

さて、「鐘」と言いますと、『祇園精舎の鐘の声』で始まる『平家物語』の有名な一節です。

簡単に言えば、万物は止まることなく常に変化し続けるという事です。

曹洞宗には、『修証義』というお経があります。その一文に、『光陰は矢よりも迅やかなり、身命は露よりも脆し』という一節があります。一般的には、『光陰矢の如し』と言います。

私たちは、日々の暮らしの中で、毎日同じような生活を繰り返されるものだと錯覚しがちだと思います。その日、一日過ごす日々は、全くの別の時間であり、決して繰り返されることはありません。一時たりとも無駄にはできない。それが人生ではないでしょうか。

無駄にはできない人生、急には変えることは到底できません。ほんの少しでも、モノの見方の一助としてみてはいかがでしょうか。

「今日は、素晴らしい経験をした」とか、「人と楽しい話ができた」とか、「美味しいものを食べた」とかなど、繰り返されることない時間の中での経験は、多くのご縁によるものです。ご縁こそ感謝の別名だと思います。

鐘の音に、ふと佇むとき、思い出すことがあります。

もう30年くらい経ちますが、私が近隣のお寺さんにお邪魔した時のことです。厳格な老住職が夕べの梵鐘を撞いておられ、撞き終わったあと、

『鐘のゴーン・ゴーンという音は、あらゆることに感謝しなさいと仏様が言っているんだよ。だから、「御恩」という言葉があるんだ。仏様の声は、鐘の音によって伝わっているのだから』と。

今思えば、あの時の老住職の言葉は、今更ながらですが、心から感謝しています。