「当たり前」の奇跡

郡上市 悟竹院 住職 稲村隆元師

「当たり前」の奇跡

三月となり平成も残りわずかとなりました。まだまだ先だと思っていたら、あっという間のことです。ぼんやりしていても、忙しく動きまわっていてもあっという間のことです。

毎日行うことや、月に一回、年に一回などと恒例の行事も人によって様々ではありますが、皆さんが「当たり前」だと思ってやっていることについて考えたことはあるでしょうか。挨拶をしたり、席を譲ることであったりと日常生活での何気ない「当たり前」のことはたくさんあるはずです。では、この当たり前のことはいつ、誰が、どうして始まったことなのでしょうか。専門家の方に聞けば明確に分かるかもしれませんが、いつ、誰が始めたことであったとしても、それを引き継ぎ繰り返してきた自分に至るまでの数えきれないほど多くの人たちの気持ちによって「当たり前」になってきたと言えるでしょう。

例えばどこかで誰かが、誰かに対して席を譲ってあげた。その誰かも有難いと思って今度は自分が、もしくはその様子を見た人が自分もと思って譲った。こうして繰り返されることで出来ていく「当たり前」は奇跡の集合体のように思えるのです。長い歴史の中で、どこかで誰かが他者に対して行なった一瞬の思いやりの行為が、積み重なっていくことも奇跡のようにも思えます。

「当たり前」となっていることにはもちろん気持ちの良いことばかりではありません。しかし、他者を思いやることを日常に溶け込むほど続けてきていることに先人たちの温かさを感じ、またその「当たり前」の尊さを感じます。

お彼岸にはお墓参りなどでご先祖に手を合わせる機会も増えるかと思います。そんな時、亡き方と一緒に彼らから受け継いだ「当たり前」を思い浮かべてみてはいかがでしょうか。