「喫茶去」

土岐市 正福寺 副住職 大島佑貴 師

2年前から突然世界に広まった新型ウイ ルスによって世界中の人々の生活は一変して しまいました。今まで通り普通に食事を楽しんだり、旅行を楽しんだり、人々との日常的 な交流が突然制限され、この先どうなってし まうのか、いったいどうすればよいのか不安 な日々をお過ごしの方も多いと思います。世 界を見てみれば、令和になった今現在でも人 の命を奪い合う悲惨な状況が無くなる事もなく続いております。大変悲しい事です。このような非常に厳しん世の中で、果たしてどう 生きていけばよいのか迷いは深まるばかりで はないでしょうか。色々と考え過ぎて目の前 の事象を見ることができず、さらに悪循環に 陥りかねません。そんな時は、ゆっくりお茶 を飲んでみてはいかがでしょうか。日本には 誰しもが知っている習慣の一つに、お茶を飲む事があげられます。一言にお茶といっても、 奥深い作法にのっとっていただく「お抹茶」、 手軽に飲む事ができる緑茶、最近ではペット ボトルの普及により、いつ、どこでも簡単に いろんな種類のお茶を楽しむ事ができるよう になりました。お茶というは6世紀頃、南イ ンドの達磨様が中国に持ち込み、鎌倉時代に 中国で学んだ栄西が禅と共にお茶の種を日本 に持ち込んだ事から広がったものとされています。 仕事柄お茶に接する機会は非常に多くありま すが、中国の有名な禅僧である趙州禅師の逸 話に次のようなお話があります。禅師のもと に修行僧が訪ねてくると、「ここに来た事が 有りますか」答えが「はい」でも「いいえ」 でも、まぁお茶を飲みなさい。と答えます。 「悟りを開くにはどうしたらよいか」と質問 しても「まぁお茶を飲みなさい」禅師の居る お寺のものが「なぜ同お答えなのですか」と 聞くも答えは「まぁお茶を飲みなさい」だったそうです。一連の流れを見て、一杯のお茶 を飲む時は、ただ無心にお茶を飲む事に集中 する。何でもないこと、当たり前の事を他に  気を取られることなくひたすらやる。その行 為そのものの大切さに気付いたそうです。お 茶を飲む時は他ごとを考えず、お茶を飲む事 だけに集中する。自分が今できない事ばかり 考えて、目の前の事に対して集中できない事 への戒めの為に「喫茶去」という言葉が伝えられているのではないでしょうか。 世の中には不安な事は数えきれないほどありますが、目の前にある事、自分に出来る事 に集中して取り組んでいけば、必ず前に進んでいけるのではないでしょう