「同事」の実践

関市 千手院 住職 橋本 絢也

本日は「同事」についてお話しようと思います。「同事」とは「自分の心にも違わない 他人の想いにも違わない」という意味です。もっと言いますと「自分も他人も同じである」という事です。自分の喜びを誰かに分け与え、誰かの悲しみ苦しみを引き受ける、そのような実践を表した言葉でもあります。

日常に即して考えてみましょう。自分の立場を護るが故に、対立する考えに対して苛烈な言葉を浴びせ貶める場面を頻繁に見ますが、その「苛烈さ」を相手も持ちうることを見落としているように感じます。そのような苛烈さを自分に返されたとき、あなたはとても苦しく感じるでしょう。ですがその苦しみは、元はといえば、あなたが誰かに与えていたダメージなのです。

「誰かの今日は いつかの自分」である事を強く意識しなくてはなりません。相手の苦しみはそのままあなたの苦しみになり得るのです。そう、同事、同じ事なのです。

では我々は具体的にどう行動すべきなのでしょうか。最初に申しましたが「自分の喜びを誰かにも分け与える」事が肝要です。もっと簡単に申しますと「自分の“好き”をどんどん言葉に出していく」という事です。美味しかった料理、綺麗だと感じた風景、お腹を抱えて笑った出来事、モフモフな犬。あなたを震わせるそれら沢山のモノを本人に、誰かに、言葉で伝えてあげるのです。そしていつか誰かからも「好き」を聞くことが出来たのなら、それはとても嬉しいはずです。「好き」の連鎖はきっと気持ちの良いものなのではないでしょうか。

そのような「同事」の実践を是非心がけていきたいものです。