「勝利は鞘の中にあり」

恵那市  長国寺 住職 小島現由師

一昨年来より続いているコロナ禍や、昨今のウクライナ情勢に伴い、私たちの生活や行動が大きく制限され、思い通りに事を進めることがこと更に難儀な世の中になりました。

変化に対応した生活を送ること自体も大変なことではありますが、時節にあわせて心の落ち着きを取り戻すことにも苦労してしまいます。

お釈迦様は、この「自分の思い通りにならない」という状況を指して『苦』と表現されました。そしてその『苦』というのは文字通り苦しい事だけを指しているのではなく、『一切皆苦』と仰っています。即ち、「すべてのものごとは自分の思い通りにはならない」という意味です。

連日報道されるウクライナ情勢には心が痛むばかりですが、これも、「思い通りにならない相手」の存在を認められなかったことが発端となっています。

戦国時代、現在の山形県に林崎甚助という居合道の始祖がおりました。

相手よりも早く刀を抜き、相手よりも早く斬ることを極めた人物ですが、その居合道の極意は刀を抜かないところにあるというのです。

「居合の至極は常に鞘の中に勝ちを含み、刀を抜かずして天地万物と和する所にあり」

自分にとって不都合な相手に遭遇したとしても、すぐに刀を抜かない、相手にも抜かせない。斬らない、斬らせない。話し合いを以て和合することを第一の要心としているのです。

刀を抜いたら最後、どちらかが斬られ、そこには勝敗など存在しない。

勝利というのは、刀が鞘の中に収まっている状態で和合することであると。

その上で、万が一、刀を抜かねばならない事態に直面した時には、相手よりも早く抜刀をし、身を守る。これが居合道だというのです。

お釈迦様も、ダンマパダ(和名:真理の言葉)という原始経典において、「殺してはならぬ。殺させてはならぬ。」とお示し下さっております。

思い通りにならないことを力で解決しようとするところに、勝者は存在しないということを、今一度私たちも肝に銘じる必要があります。