「なるようにしていきましょう」

美濃市 霊泉寺 住職 佐藤隆定 師

年が明けてしばらく経ちました。私が住職を勤めている霊泉寺では、毎年1月に新年の多幸を祈る大般若祈祷法要を行っています。幸せなことが多い年であることを祈るわけですが、これは良いことが起こるのを待つという、受け身の発想なだけではありません。

たとえば、晴れの日と雨の日があったとき、どちらの天気が良い天気でしょうか。一般的に「天気が良い」と言ったとき、それは晴れを意味しています。逆に、天気が悪いと言うとき、それは雨や曇を意味していることが多いでしょう。

しかしながら、晴れと雨について、一概に良い悪いを言うことはできないはずです。雨が降らなくては作物は枯れてしまいますから、雨を心待ちにしている人だっており、その人にとっては雨降りこそが良い天気なわけです。恵みの雨、というような言い方もします。

つまり、良いことや悪いことというのは、最初からそのようなものがあるわけではないということ。もっと言えば、起きたことに対して、自分自身がどのような受け取り方をしたかによって、同じことでも良いことと思えたり悪いことと思えたりするということです。雨降りの日を良い日にするか、悪い日にするか、それは自分の受け取り方次第。幸不幸の分かれ目は、起きた事柄にあるのではなく、自分側にあるということです。

禅の世界には、「日日是好日」という言葉があります。毎日毎日が良い日だ、という意味に解釈されることが多いですが、もう一歩踏み込んで考えれば、毎日毎日を良い日として生きてみよ、という課題と受け取ることができます。実際この言葉は、師匠から弟子へと投げ掛けられた課題の言葉なのです。

多幸な一年を願うだけでなく、多幸な一年になるように生きていきましょう。