「いただきます」ということ

関市 天徳寺 住職 水野 弘基 師

こんにちは、今日は食事の時の挨拶、「頂きます。」についてお話ししたいと思います。

先日、ある食堂で食事をしていると、ダメージジーンズと言うのでしょうか穴の開いたジーパンに耳に3個鼻に1個ピアスをした二十代と思われる青年が隣に座りました。これはまたチャラい奴が来たなぁと思って見るとは無しに気にしていたら、いざ食事が運ばれてくると、しっかり手を合わせて「頂きます。」小さい声ではありますがしっかり言っていました。耳を疑ったというか、外見だけで人を見下していた自分が恥ずかしくなりました。

十年ほど前でしょうか、ある小学校で御父兄から、うちは給食をめぐんでもらっている訳じゃない。正当な対価として給食費を払っているのだから、子どもに頂きますと言わせるのはおかしい。とクレームが出たというニュースがありました。皆さんはどうお感じになりましたでしょうか?この人はタダで物を貰った時にだけ使う言葉だと思っていたのでしょう。

頂きますの元々の語源は神様に御供えした供物を下げて食べる時、位の高い人からご褒美や御すそ分けを貰う時、額に押し頂いて食べたり貰ったりした所から「食べる」「貰う」の謙譲語として「頂く」という言葉が生まれ次第に食事の前の挨拶として定着していったようです。

食事の時の頂きますには、2つの意味があると思います。

一つは、食材である野菜や食用肉、あるいは魚介を生産してくれた方、またその食材を美味しく調理してくれた料理人に対しての感謝の言葉。

一つは、私の肉となり血となり生きていくために野菜や動物・魚の命を頂きますという感謝の言葉。

子どもに、ちゃんと頂きます。と言いなさい。と躾けてきた我々大人たち。学校の給食や家ではさておき、町で食堂・レストランで「頂きます」をしている大人が何人いるでしょうか?私も何十年も生きてきましたが、街中で頂きますをしている大人はほんの数人しか見た事がありません。

子どもにはやらせるけど大人はやらなくていいのでしょうか?恥ずかしいからやらないのでしょうか?はたまた先の父兄の様にお金を払っているからする必要が無いと思っているのでしょうか?

先日出会ったあの青年、格好いいと思います。我々も格好いい大人でありたいものです。