大垣市 瑠璃光寺 副住職 谷 香賢 師
6世紀前半、中国の梁の皇帝武帝は仏教を深く信仰し保護していました。
武帝はあるとき、達磨大師を招き次のような質問をしました。
「私は今まで多くの寺を建て多くの僧を養成してきました。そんな私にどんな良いことがありますでしょうか?」
達磨大師はすぐさま「無功徳」 功徳なんてありませんよ。と答えたそうです。
本当に武帝には何の功徳も、良い見返りもなかったのでしょうか?
私はそのようなことはなかったと思います。
私にはボランティア活動の経験があります。ボランティアですから報酬はありません。
交通費などもかかりますから、そこだけに目を向けると「無功徳」だったかもしれません。
ですがボランティア活動を通じて、人から感謝され、一緒に活動をする仲間ができ、また、世の中の現状を少しだけ知ることができました。
これが私が得た功徳であり、見返りだったと思います。
武帝は仏教の普及に力を注いだ立派な皇帝だったわけですから、多くの僧侶から感謝され、多くの民衆から尊敬されたことでしょう。これこそが武帝が得た功徳だったのではないでしょうか?
功徳があったか、なっかたか?それは個人の考え方1つです。
達磨大師がおっしゃられた「無功徳」という言葉の裏には
「善い行いに見返りを求めてはいけないよ」という教えがあります。
自分の身に降りかかる善いことも、悪いことも必然的に起こります。
全てに原因があり、その原因は過去の自分が作っています。
これはお釈迦さまが説かれた縁起という考え方です。
新時代「令和」がスタートして約半年が過ぎました。
この令和という元号には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。 梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますようにとの願いが込められています。