不放逸

恵那市 瑞現寺 副住職 坂 英世 師

お釈迦さまの遺言でもある不放逸(ふほういつ)という教えがあります.放逸というのが「不注意」「油断」ほどの意味ですので,不放逸は「注意深い」「油断していない」といった様子を表すことばです.本来は仏道修行全体について,まさに「いつやるか,今でしょ」という態度で臨むことを説く教えですが,今回はもう少し具体的な例で考えてみたいと思います.

私が僧堂に居りました時,何よりもまず教え込まれたのが,身の回りの整頓と掃除でした.最初はただただ言われた通りにやろうというような意識でしたが,途中からはそれがいい意味での習慣となり,自分からきちんとやろうと思えるほどにはなっていました.

ある日,朝のお勤めでお拝をしようとしましたら,ちょうど私の目の前に大きめの埃があるのに気づきました.気づいたのですが,私はとりあえずそのままお拝をしたんですね.そうしましたら案の定と言いますか,隣にいた先輩の和尚さんから拾いなさいと小声で言われてしまいまして,慌てて拾ったということがございました.

そのとき私が埃を拾うことを見送ったのは,まさに私の油断でした.「まあいいか」という思いがあったんですね.自分では掃除をきちんとやる習慣がついていると思っていたのですが,それはルーティーンとして掃除をやっていただけの話で,目の前にある埃を拾えなかったわけです.自分で自分にショックを受けましたが,それ以来「目の前に落ちている埃を拾える人間でいよう」と自分に言い聞かせています.

しがない話ですが,これが私にとっての不放逸です.正確には不放逸の一端というべきでしょう.いわゆる魔が差すということがないよう,何事にも不放逸であるのが理想ですが,私はまずはここからと思っています.

今回は不放逸という教えがあるんだということを,心に留めて頂ければ幸いです.